甘えにも負けず
『雨にも負けず』という有名な詩があるが
今まで私はこれに対して何か陶酔を覚えるような感動をしてきた.
ただただ他の人を助けたくて、自分はどんな悪い条件にもめげない.
それに対して対価を求めない.これはすごい人である.
僕もこんなすごい人になりたいと思ってきた.
しかし、死にたくなってそれはちょっと解釈が違うんじゃないかと思ってきた.
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
今までの自分にとって全く見過ごしていたこの部分があってこその『雨にも負けず』なのだろうと.
この部分を全く見過ごしているならば、ただのwanna beに過ぎない.他人を助けたいのではなくて、他人を助けられるような強い自分に変身したいという自分本位な欲求の発露になってしまう.
自分の辛い現実を解決してくれるなら、その代わりに他人くらい救ってやるよみたいな、甘えと現実逃避ではないか.
『グスコーブドリの伝記』なんかだとしっかりと学を積んでいて、代わりになるような人材がいないような主人公が、火山に突っ込んでいくわけである.
人のために頑張りまーすではなく、死にゆくには惜しいほどの過剰なコストを賭けていても、人のために尽くせるという無我を大事にしたいんじゃないだろうか.
だから、そんな人になりたいなら、まずは
甘えに負けないで
あらゆることを
自分を勘定に入れないで
よく見聞きしわかり
忘れもしない
ことを第一にするべきなんじゃないかなと.
自殺の勧め
先日から死を求めています.
死んでなんも考えられなくなったらどんなにラクだろう.
しかし、首を切ったり吊ったりしてみても、それはなかなか苦しいもので.
肉体的に死ぬのはカンタンなことではないようです.
それにわざわざ訪ねてくれた友人や親に希死念慮を白状すると、死んだら悲しい、死んだら負けだと諭されました.
当然のことですが、言われると死ぬのを控えたくなります.
特に僕が死んだら家族にも「悪い影響」が行くからやめてくれと言われたら.
死ぬのは僕だけの権利ではない.
僕に権利がないので、肉体的に、積極的に死ぬのは許されないようです.
じゃあもっとカンタンに死んでみようと思います.
死にながら動くのです.
野心を捨て、プライドを捨て、利得感情を捨て、つまり主観を捨てます.
最低限に自律して、動かし続けるのです.
今まで長生きしたいとか、奴隷にはなりたくないとかへらへら自分を大事に生きてきましたがもうやめます.
動力がきれるそのときを怖れず待ち望んで生きれば良いでしょう.
悲観
まだ二年間はまだ大学に入れるので、その間はまだ生きていていいのでしょうか.
でも、将来のこと考えちゃうと、建設的なこと、楽しいこと、何もやりたくなくなってしまうんです.
勿体無い.
死にたいなあ.
ただただ死にたい
--大学二年生の冬
やる気もなくただただ死にたい.
誇れる趣味もない.
将来が不安です.
東大にこないで、滑り止めの医学部に行けばよかったなと反省しています.
むしろ東大を滑り止めだとなんで考えなかったのだろうと思います.
医学部に行かなかったことが生涯のコンプレックスになるくらいなら死んでしまいたい.
あと死にたくて首の周りを何遍もさしたから、ひどい跡になってます.
これじゃ、社会的信用もへったくれもありません.
家族が悲しまないようになんでもないように振舞っています.死んでないのも家族のことを思うと恐ろしいからです.